◾︎ 新橋あたりがなぜ汐留と言うかというと江戸城を作っている時は石や木材を汐留川を使って運び込んでいた。しかし人が増えてきて赤坂の溜池が潮害から守るため東京湾と断ち切った時、新橋あたりが汐留となった。因みに1654年玉川上水が完成し、再び隅田川河口に流れ、高度経済成長で埋め立てられた 一緒に読みたい関連記事: 奇抜な宣伝をする天狗たばこ、日本最初の従軍記者が目薬を販売した楽善堂、パブの草分け函館屋はかつて銀座の3奇人と呼ばれたそうな #銀座 煉瓦街が出来た明治の銀座通りでは水はけが悪く桜や松は育たず柳が植えられた。銀座通りが整備された1921年(大正10年)並木はバッサリ切られる。現在は銀座通りには並木は無いが2020東京オリンピックに向け再び銀座通りの並木を復活させる計画があるが何を植えるか未定 #銀座 今日は銀座4丁目対鶴館地下一階バーサンク。対鶴館は一時地価日本一をとったことがある。因みに今は銀座通りの鳩居堂が長らく一番ということになっている。 #銀座 pic.twitter.com/37CjWvskVe RT @kamakurasoba: 年越しそばは昔、金座・銀座で金銀を吸い取るのにそば粉を使用した所から縁起のよいものと珍重されて参りましたが何よりもそばはたんぱく質、ミネラル、ビタミン、ルチン等が豊富でこれを食すれば高血圧や糖尿病が予防できる事を知り、事の初めや終わりに進んで… 歴史 銀座