◾︎ 銀座はもともと島でした。銀座に来るためには橋を渡らなければ入って来れなかった。だから銀座の周りには新橋、京橋、数寄屋橋、三原橋など様々な橋がつく地名があります。そんでもって昔は冷蔵庫なんて無かったから川沿いに生簀を作ってお店で出してました。そうしたら刺身にしてしょうゆがいる。だから関東はしょうゆの文化が栄えた。逆に京都なんかは海から遠いから手間をかけて加工しないと食べられないことが多く今の壮大な京料理が出来上がった。そうして新鮮な料理を食べに銀座に人が集まり、その人たちを楽しませる為に歌舞伎小屋が作られたとさ。 一緒に読みたい関連記事: 10/22-11/16まで銀座四丁目交差点の三愛ドリームセンター8階にて銀座を愛する写真家たちがやってるので行った。昔の写真は10数点しかなかったが落ち着いた雰囲気でコーヒーも自由に飲める。因みに写真も1-4万円程度で買える #銀座 pic.twitter.com/bXC8nQhO4x RT @ssktks: 東銀座の印度料理ナイルレストラン。日本初のインド料理店で、カレーでも超有名なお店。そのお店で、岩手米を使っていただいています。 pic.twitter.com/RuXi6ZkdTY 歌舞伎座に近い五丁目のあづま通りは戦略として呉服屋を増やしていった。新橋芸者の持つ芸妓舞踊東をどりのあづまと同じ #銀座五丁目 煉瓦街が出来た明治の銀座通りでは水はけが悪く桜や松は育たず柳が植えられた。銀座通りが整備された1921年(大正10年)並木はバッサリ切られる。現在は銀座通りには並木は無いが2020東京オリンピックに向け再び銀座通りの並木を復活させる計画があるが何を植えるか未定 #銀座 歴史 銀座